発達障害の診断の体験談

先生たちの大丈夫はあてにならない

言葉の発達が遅く、2歳の頃から癇癪も目に見えて激しくなり少し成長が遅いのかな?と疑問を持ちま始めました。

3歳検診の時に周りの子達を見てお母さんの言う事を良く聞いていたり視力検査や尿検査の説明を一度すればある程度理解している事にビックリして、検診の相談員さんにも疑問を投げ掛けましたが「これ位なら成長に誤差があっても大丈夫です。」と言われそんなものかと自分に思い込ませました。

その後、毎年保育園での二者面談中に生活や家庭での生活等を先生と話し成長が遅過ぎるのではないか?と質問しても「生活面はキチンと出来るので多少会話がチグハグでも大丈夫です。」と返ってくるばかりでした。

小学校に上がり、一年生の間は会話にならなくてもクラスのお友達とは何とかやっていけてましたが二年生にもなると会話が上手く成立しない為、お友達と遊ぶ事が出来なくなるどころか軽いいじめの対象になり始めました。

その時も先生にどうなんだろう?と相談しましたが「多分大丈夫しゃないですか?」と言われるだけだったのですが不安は募るばかりだったので障害について色々調べ、障害支援センターに電話を掛けて相談し、一度診察と知能テストを受ける事になりました。

当時は予約が多く、診察出来たのは電話から4カ月以上先の学年末でした。

知能テストの結果は言語能力が平均よりかなり低くグラフに表せない程酷かったです。それ以外は平均より少し低いかな?程度でしたが愛護手帳の対象者になりました。

診断名は『発達障害』で『学習障害』と『アスペルガー』

うちの子は目で見て覚えるのが得意だったので日常生活は全く問題なく過ごせたのと人懐っこい性格だった為、『発達障害』を疑われる事なくこの年齢まで過ごしてしまったのだと先生に言われました。

と、同時に療育は最低でも3歳頃から始めたかったと言われました。そうすればここまで酷い言語能力にはならなかったと思います。とも言われました。

自分が疑問に思い始めた時に周りの言葉で安心せずに専門の機関に相談や受診をしておけばこんなに子どもに辛い思いをさせなくて済んだのかと思うと後悔ばかりです。

その後、直ぐに学校に相談し支援学級へのクラス替えをお願いしましたが渋るばかりでなかなか話が進まず、クラス替えが出来たのは三年生の途中からになりました。

支援学級に入ってからは担任の先生との相性も良く、マンツーマンの学習指導のお陰でどんどんコミュニケーション能力も上がり交流学級では周りのお友達と仲良く話している姿も見られるようになりました。

これからも担任の先生と生活面、学習面をしっかりと話し合いながら子どもの将来が少しでも苦労の少なくなる様に努力していきたいと思っています。

後輩ママへのアドバイス

周りの「大丈夫」は責任を負いたくない人たちの逃げの言葉です。自分で育てている子どもなのだから自分が一番良く分かるはすです。周りの気休めの言葉に惑わされずに少しでも疑問を感じたら専門医に相談してください。

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