胎児の水頭症の体験談

水頭症と脊髄の病気

今から2年前、私は二人目を妊娠しました。そのとき息子は2歳でした。元気な男の子だったので、妊娠中ですが、走ったり、子供を抱っこしたり、妊婦らしい生活は全くしていませんでした。妊婦検診で4か月の時に子宮に血腫が見つかりました。その血腫は毎度行くたびに大きくなっていました。ただ、妊娠経過には問題がないと言われていたので、血腫が小さくなるように自宅安静だけを守っていました。ある日、病院から1本の電話が来ました。時間はpm7時。内容は、もう一度内診させてほしいとのこと。なんのことかさっぱりわからなかったが、とりあえず病院に向かった。夜なので静かな病院でいつもの診察室とは違う部屋で内診。2人の先生が真剣に見ていました。そして告げられたのは「赤ちゃんの脳が週数よりも大きいです。検査をしたいのでこのまま入院できますか」と。急な事過ぎてついていけなかったですが、お腹の子供のためと思い、自宅に連絡をし入院グッズを持ってきてもらいそのまま入院。その日の夜は眠れませんでした。次の日の朝から検査。詳しく調べるために大きい病院にデータを持っていかれました。私はただベットの上で結果を待つ。検査結果が出て個室に呼ばれました。病名は「水頭症」でした。先生から詳しく説明され、今後どうされるからは、お任せしますと言われました。21週までだと、死産の選択もできますと。ただ病院側は、命には変わりがないので、出産した後もサポートしますと言ってくれました。ただ、私の中では答えは決まっていました。一人子供がいるので、障害の子供を育てる自信はありませんでした。生まれてもすぐにNICUに入り、色々な管に繋がられ、生活はずっと病院。ちなみに、水頭症のほかに脊髄の病気も見つかり、腰の部分に肉がついていなく車いす生活になると言われました。私も旦那も答えは一致。死産を選びました。私の中で流産の時の処置かと思っていましたが、死産でも本当の出産でした。陣痛促進剤をして、陣痛来るのを分娩室で待ちます。一つ違ったのが、陣痛の痛みを和らげるためにロキソニンを飲んだことです。お腹の中ではまだ元気に胎動は感じていました。私は、先生に生まれたら対面するか聞かれて、いいえと答えていました。会うと辛くなるから会わないと思っていました。そして子宮口が開き、思いっきりいきんであかちゃんが出ましたがもちろん産声は聞こえませんでした。胎盤がうまくでず、助産師さんがお腹の上に乗り、思いっきり押されてすべて出しました。出産が終わった時、私は大泣きしました。赤ちゃん、ごめんね。元気に産んであげられなくて。本当ごめんねと。そして先生にやっぱり赤ちゃんに会いたいですと伝えました。陣痛を感じて、いきんで出産して、自分の身体から生まれたとき、育ててあげられないけど会いたいと思いました。助産師さんたちが綺麗にしてくれて、対面したのは棺桶にすっぽり入った赤ちゃん。700gの小ささでも、爪や目、耳などしっかりしていて、とってもきれいな女の子でした。あの時、会ってよかったと思いました。先生に聞くと脊髄の部分の肉はやはりなく、頭も大きい赤ちゃんでした。そしてびっくりしたのが、出産した次の日にすぐ退院でした。普通だと4~5日入院なのに、小さい赤ちゃんだったからなのか、死産だったからなのかあっという間に退院。そのまま火葬場へ。小さい身体だけどしっかり骨もあり、赤ちゃんの骨を一つ一つしっかりとり、おうちに一緒に帰ってきました。この子が生まれたことは戸籍上載らないですが、大切な家族の一員です。病気と闘っている子供もたくさん知っています。私の選択が正しかったのかはわかりません。でもこの子がくれた物はたくさんあります。私を強くしてくれました。家族の結束力が深まりました。本当にありがとうと心から思いました。

後輩ママへのアドバイス

私はもし一人目がこの子だったら、出産していたと思います。今の時代の技術だと、昔より助けてあげられる治療はたくさんあると思います。

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