ダンディー・ウォーカー症候群の体験談

ダンディウォーカー症候群と診断されて。

1年半前、つらく悲しい出来事がありました。時が経ち、ようやく冷静に思い出すことができるので、どなたかの役たてば・・・と思い投稿させていただきます。

結婚して3年半、待望の妊娠でした。
マイナス10キロという、壮絶なつわりを乗り越えて安定期に入った20週(5か月)に入った頃。ポコポコと元気に動いていた赤ちゃんが、なんとなく元気がないような気がして、心配になり、かかりつけの病院に行くことにしました。
先生に診てもらって、「だいじょうぶだよ」という言葉をもらって、安心してから仕事にいくつもりでした。

その日は、検診の日ではなかったけれど、間に入れてもらい診察をしていただきました。
エコーで見始め、一目で心臓が動いているのが分かりました。先生も、「心臓は動いてるね」と教えてくれました。
でも、ホッと一安心したのもつかの間。
「頭がおおきいなぁ」と言いながら、何度も頭の大きさを測っていました。
前回の検診では、全体的に大き目だったけど、標準の範囲内でした。しかし、その日は、頭だけがグラフから大幅にはみだしていました。
先生は「紹介状を書くから、大きい病院で診てもらった方がいいね」と言い、県立病院の紹介状をかいてくれました。悪い想像しかできません。次の日から、連休に入るため、急遽仕事をそのまま休ませてもらい、県立病院へいきました。

県立病院はすごく混んでいて、2時間待ってようやく順番がきました。待っている間、ネットで”頭の大きい胎児"と調べるが、あっとう的に良いことは書いてなく、不安でいっぱいでした。
かかりつけの先生の紹介状には、”水頭症の疑い”と書いてありました。
診察に入り、細かく診ていくと、どうやらそれだけじゃないみたいで、
「小脳がみえないな」「お腹にも水がたまっている」「頭にもだいぶんたまっているな」
と、エコーで確認していました。
そして、もっと細かく調べるために、MRIをとることになりました。
その頃仕事を抜けてきた旦那さんが、不安そうな顔できました。

壮絶なつわりを経て、ようやく安定期に入り順調に育っていると思っていた矢先、地獄におちた気分でした。MRIの結果が出るまで、少し時間がかかったので、全くお腹はすいていないけど、ごはんを食べ、旦那さんに報告をしました。
意外と冷静に話せたような気がします。たぶん、もう自分のなかでは決断していたんだと思います。
「あきらめなければいけない」といういうことを・・・。
どうすることもできない状況で、赤ちゃんをあきらめなければいけない可能性が高いということは、分かっていて、悲しくて、つらくて、二人とも涙がでました。

先生に呼ばれました。MRIで分かったことは、小脳の低形成、もしくは欠損。さらに脳出血もある。腹水(胎児水腫)も見られると話し、分厚い医学書を持ってきて、「ダンディウォーカー症候群」というページを見せてくれました。
先生によると、とっても珍しい病気で、5万に1人の確率で、症例もほとんどないとのこと。
合併症で、水頭症にもなっていて、もしこのまま育って産まれたとしても、
お腹の中で亡くなる可能性が高いこと。もし、産まれたとしても、予後は見込めないこと。
そして、普通の成長はまず望めないということを説明されました。

ショックでした。重い病気なんだということは、想像していたけれど、実際に先生の説明をきくと、現実的になり言葉が出ませんでした。
けれど、決断しなくてはいけませんでした。
「22週に入ると、法律で決められた人工的な処置はとれなくなるから、辛いことを言うかもしれないけれど、どうするか、決めてほしい。このまま、お腹の中で少しづつ大きくなっていくと、だんだんと辛くなる。今後の妊娠のためにも、メスを入れず、下から産む方がいいので、少しでも早い方がいい。」
と言われました。

「少しだけ時間をください。」とお願いをし、夫婦で話す時間をいただきました。
脳内出血までして、お腹に水もたまっていて、ほとんど動けない状態の赤ちゃん。
「早くだしてあげたい。」
旦那さんに、そう言いました。旦那さんは、無言でうなづき、手を握ってくれました。
先生に夫婦の意向を伝え、すぐに入院の手続きをとってもらいました。

そして、その日のうちに入院し、処置の方法を説明されました。
”中期中絶”というものになるらしく、”中絶”という言葉にショックを受けたことを覚えています。
処置の方法は、ネットなどでもいろいろ調べたりしたけど、とても怖かったです。

夕方、1度目の処置が始まりました。
子宮口を開くための、準備として、ラミナリアというスポンジのようなものを子宮に入れました。少しづつ本数を増やしていくみたいで、1度目の処置では全然痛みはなく、身体は通常となにも変わりませんでした。でも、精神的にすごく辛くて、少しでも考えると、涙が流れました。
病室に帰ってからも、大きくなったお腹を見ては泣いたり、お風呂に入って鏡を見て泣いたりしていました。
お腹をなでながら、「もうすぐ出してあげるね」と話しかけたりもしました。

寝る前に、2度目の処置をしました。本数を増やすので、痛みが出てきました。
痛みのせいか、その夜はほとんど眠れないまま朝をむかえました。

2日目の朝になりました。その日も、2回処置をすることになっていました。
だんだんと痛みが増してきて、怖くて不安で辛かったです。
でも、お腹の中の赤ちゃんは、もっともっと痛い思いをしているんだから、母になるんだから、「痛い」って言わないんだって決めました。
痛みで身体が震えたり、息がうまくできなくて、手足が痺れたりもしました。
でも、次の日赤ちゃんを出してあげるために、耐えるしかありませんでした。2日目の夜、旦那さんにたくさんお腹を触ってもらいました。涙を流しながら、優しくなでてくれました。
お父さんになることを、楽しみにしていただろうに。もう最後だと思うと、涙が止まりませんでした。
だんだんと、腰と下腹部の痛みが増してきました。
痛みで寝られなくて、痛み止めをもらいました。そのおかげか、しばらくは眠れました。

3日目の朝、涙をたくさん流した目は、パンパンに腫れてしまい、目が明けられないほどでした。
午前中に診察があり、ラミナリアを抜きました。そして、陣痛促進剤を入れました。
薬が効きやすい体質だからか、すぐに生理痛のような痛みがきました。
5分単位くらいで、陣痛が始まりました。痛みを耐える時間が増え、旦那さんに腰とお腹をさすってもらいました。
初産ということもあり、子宮口がなかなか開かないようで、時間がとっても長く感じました。
不安、痛み、悲しみで気持ちはぐちゃぐちゃでした。
痛みに耐えること、2時間ほどで、分娩室に移動しました。
2度目の促進剤を入れる時間だったけれど、
「大分狭い感覚で陣痛がきていて、なるべく子宮を傷つけないためにも、このまま様子を見ることにしましょう」と言われました。
そうしているうちに、破水しました。そして3回ほど、頑張っていきんだら赤ちゃんが出てきてくれました。
産声はありませんでした。
わたしは、感情が溢れ、涙が止まりませんでした。
そのまま後処置が始まりました。
次の妊娠の為に、胎盤をきれいに出しておかないといけないみたいで、胎盤をかきだす処置をしました。
これも、とっても痛かったけど、出産の痛みに比べると耐えられました。
痛みから、解放、同時に、大きかったお腹は元のお腹に戻ってしまいました。
悲しい気持ちでいっぱいでした。

その後は、助産師の方が赤ちゃんをきれいにして連れてきてくれました。
小さい小さい赤ちゃんでした。旦那さんに似た男の子でした。
ずっしり重くって、抱っこしたら涙が止まりませんでした。
「病気になっちゃったけど、5か月間お腹で過ごしてくれてありがとう。
元気に産んであげられなくでごめんね。」
と伝えました。
赤ちゃんはただ眠っているように見えて、これからさよならしなくちゃいけないなんて、思えませんでした。

家族の入室が認められ、旦那さん、母、父がきてくれました。
順番に抱っこしてくれる姿を見て、嬉しくて涙が止まりませんでした。
産まれてきた赤ちゃんを、あんなに愛おしそうに触ってくれるとは思っていなかったので、感動でいっぱいになりました。
周りから見れば、幸せな出産ではなかったかもしれないけれど、
なんだか不思議と幸せな時間が流れていました。
そこには、間違いなく家族の時間がありました。
家族写真もおさめていただきました。
一生の宝物になりました。
死産という悲しい出産になってしまったけれど、一生忘れません。

後輩ママへのアドバイス

わたしのような、症例はとても珍しいと言われましたが、
死産という選択をしなければならない方は、わたしだけではないと思います。
でも、どんな形でも、お腹の中にきてくれた赤ちゃんは、その時点で家族なんだなって感じました。
つらい経験ですが、いつまでも忘れない大切な経験になりました。
頑張らなくていいと思います。たくさん泣いて、泣いて。少しづつ前に進めるようになります。

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