発達障害かも…と悩んだ日々
息子を育てる中で何となくアレ?と思う事が時々ありました。
最初に違和感を感じたのは、まだ赤ちゃんの頃。
育児書を見ても助産師さんからも、おっぱいをあげる時は穏やかな気持ちで目を見てあげてるようにとありました。
しかし目が全く合わない、こちらを見ない。
お腹が空いてもオムツが汚れても泣かない、何かを訴えることの少ない赤ちゃんでした。しかし火がついたようにいきなり泣き叫び暴れる。
何か違うようなと思いながらも初めての育児、こんなものなのかなと思いながら過ごしていました。
1歳を過ぎて周りではチラホラお喋りを始めるお友達が出始めました。「家はまだ全然だよ〜!」「男の子は遅いって言うよ〜!」ってやり取りを何度したでしょう。
いつ喋ってくれるのだろう、大丈夫なのだろうか、と悶々と過ごす日々。息子の癇癪はどんどん酷くなって、いつ起こすか分からないので外に出るのが億劫になる程でした。
そんな不安の中迎えた1歳半検診、単語は1つも出ておらず指差しもしない、検査の積み木を自分のしたい様に遊び、建物の中を上に下にウロウロ走り回り終わりました。
その際の小児科医の診察で、この子は自閉症と多動症なんじゃないか?と言われショックと言うのとは何か違う、やっぱり何処か違うんだと妙に納得してしまった自分がいました。
すぐに掛かりつけの小児科医に相談しました。
先生も目が合いずらい事は気になっていた様子で、すぐに専門医への紹介をしてくれました。今すぐ予約しても初診までは半年はかかるだろうから、なるべく早くとの事で直ぐに予約の連絡をしましたが、予約が取れたのは聞いた通り半年後の2歳の誕生日直前でした。
どこかで初診日までに溜めてあった言葉が溢れてきて心配し過ぎだったね〜っと笑い話になるんじゃないかと思ったり、これからずっとこの子とはお喋りが出来ないのだろうかと思ったりしながら、でも身近な人にもあまり相談出来ずに1人悩む日々でした。主人は「どこも変じゃないし男の子は言葉が遅い。自分もそうだった。だから大丈夫。」と息子に障害があるなんて、そんなはずはないという考えでした。
刺激は必要だと思い子育て支援センターに行き同じ位のお友達と交流出来る機会は多く持つ努力をしました。しかし周りのやってる事には興味が無く、動き回るばかり、上手くいかないと癇癪を起こし泣き叫ぶ息子とみんなの輪には入れない日々。そうすると周りの子達と比べてしまい自己嫌悪になるばかりでした。
専門医の診察は問診、行動観察でした。
2歳という年齢ではまだ診断を下すには早いという事で月に2回の言語療法を受けながら様子を見ることとなりました。
その頃には市が行なっている言葉相談から繋がった集団の中で遊びながらののびのび教室、児童発達支援センターでの月一回の相談も始まり、その療育の中から私自身が息子との向き合い方を学んでいました。
2歳でも言葉は出ておらず療育では、40分間パズル、型はめ、カードゲームなどを使い先生と向き合いやり取りの練習をしていました。
3歳になる頃には言葉もポツポツと出始め、あっという間に2語文、3語文を話すようになりました。
しかし、目が合いずらい、周りとの関わりが苦手は相変わらずでした。
3歳で初めての痙攣を起こした事からMRIと脳波を取ることになり結果は脳室が広い軽度脳室拡大という診断でした。
脳室が広いと発達障害を持ってる事は多いとの事だが、
広汎性発達障害の気質は持っているがこの結果から診断に繋がる事は無く、グレーゾーンとの事でした。
年に1回はしていた発達検査の結果も言葉が出始めてからは平均以上の結果で知的な遅れはありませんでした。
幼稚園に入り、集団の中で過ごしてからの息子は目を見張るものがありました。上手くいかず癇癪を起こしながらも自分の中で折り合いを付けることを学び、集団の中での過ごし方もゆっくり身につけていました。
切り替えの少ない幼稚園を選んだ事も息子には良かったようです。
言わなければ発達障害グレーゾーンだと気付かれない方が多くなりました。
就学に向けても教育委員会の教育相談、学校との相談を経て通常級判定で今は通常級に在籍しています。
全体での指示が入りにくい事も最近では無くなり落ち着いて過ごしているようです。
初めての子育てで何が正解で何が間違いなのか
どうならおかしいのか分からない事だらけでした。
でも1番身近で過ごしているママのアレ?って感覚は信用していいと思います。
少しでもアレと思うことがあれば信頼出来る掛かりつけ医の先生に相談してみて下さい。
早過ぎて悪い事はないと思います。