あなたが教えてくれた
私は子を授かったと同時に子宮頸癌だと診断されました。
何度も検査をして、間違いだと信じたかった…
個人病院から市の大きい病院を紹介されそこで子供の命を取るか、自分の命を取るかきめてくれといわれて、私自身は答えが決まっていたけど夫や両親、まわりのみんなが子供は諦めてくれと泣いて頼まれ続けました。
次の検診の日まで毎日泣いて、悩んだ挙句、反対を押し切っても産むことに決めました。
遠いけどもっと大きい病院に移り、そこの先生と相談した結果、最低でも28週お腹にいれるように子供と自分の体の様子を見ながら約半年間毎週病院に通い検査をする日が続きました。
最低で1000グラムはないと障害が残る可能性が高いと言われ、栄養のあるものを食べ、食べれるだけご飯を食べました。
100グラム増えるだけで泣いて喜び、お腹が大きくなる度お腹を撫でながらもっといっぱいママから栄養を持ってってね、と声をかけ続けました。
27週のころには900グラムを超えてあとは出産を待つのみになりました。
28週と1日立った日、帝王切開で可愛い我が子が産まれたと同時に支給切除の手術をしました。
我が子はNICUの保育器の中へ入り、自分は大きな手術の後だったため歩行禁止で初めて顔を見たのは看護師さんがとってくれた数枚の写真ででした。
元気に泣いてる写真の我が子にどうしても会いたくて、無理を言って車椅子で会いに行ったのをよく覚えています。
初めてこの目で見た我が子は、たくさんのチューブをつけられながらも、気持ちよさそうに寝ていました。
私は生まれてきてくれてあれがとう。
ままの子になってくれてありがとう。
と何度も我が子に感謝しました。
出生時の体重は1050グラム、普通の子の1/3の大きさで、腕も大人の人差し指と同じぐらい細くて、すぐ折れちゃいそうなほど小さかったです。
超未熟児で生まれた場合、合併症や障害などのいろんな心配がありました。
我が子の場合、動脈管閉鎖症で普通なら生まれてしばらくすれば閉じる所が閉じなくて、薬も効かず、手術する予定でした。
しかしそれも気付けば自力で塞がり、その後は大きな病気もなく、障害もなく、生まれてから3ヶ月後には2500グラムまで大きくなり退院できました。
普通の子よりはやはり発育は遅いですが、退院して3ヶ月の今、声を出してわらうようにもなりました。
次はママが治療を頑張る番です。
毎日見せてくれる笑顔に癒やされてます。
早く生まれても我が子は、我が子。可愛いです。
病気を教えてくれたこの子には、頭が上がらないと共に可愛すぎて親バカ炸裂です(笑)
最初は早く生まれることにすごい抵抗がありましたが、生まれてみるとそれを考えてたことさえ忘れてしまいます。
子供はしめいを持ってこの世に生まれてくる。
それは本当の事だったと私は思います。
早く子供が生まれたことを自分のせいだと思ってる方、たくさんの理由がありますが、自分を責めないで下さい。
普通に生まれてきた子より早く生まれた子だからこその楽しみ、嬉しさはたくさんあります。
私は、普通の子よりも早く我が子をこの目で見れたことに嬉しく思っています。
1つ1つできることが増える喜びは、きっと倍以上に嬉しいでしょう。