完全流産の体験談

人生が変わった妊娠

最初に申し上げると、私は元々子供が苦手でした。結婚したとしても子供は要らないとまで思っていました。姪っ子甥っ子や友達の子供達ともうまくコミュニケーションが取れず、そんな矢先に妊娠をしました。

元々生理不順だったので生理が3ヶ月以上来ない時があったにも関わらず何故か生理予定日から1週間遅れただけで人生初めての検査薬。今思えばなにか勘が働いたのだと思います。結婚していた訳では無いし仕事の事もあるし陽性だと知った時は嬉しいよりも先にパニックになってしまい混乱してしまいましたがひとまず病院へ、5週2日でした。悪阻も始まっていて正直辛い事の方が多かったです。でも、幸せな事の方が大きくなってました。診察台に上がって滞納が確認できて、赤ちゃんの成長が見えるにつれてその瞬間から産まれたあとの我が子の事、どんな子になるだろう、どんどん先の事を考え幸せな気持ちのそんな矢先

茶色い織物を確認し暫く様子を見てましたが鮮血が出始めたのですぐ病院に、先生には「まだ心拍は確認できないけどしっかり子宮にくっついているし流産しかけていたらもっと子宮口に近いと思うから心配しすぎず、念の為、家で安静にしてくださいね」と言われひとまず安心しましたがその日のうちに腹痛はどんどん激しくなり色も量も生理の比じゃなくなり、そのまま病院受診したその日に我が子は家のトイレであまりにも早くに出てきてしまいました。

何かがポコっと出た感覚があり赤ちゃんだったらどうしようと思い拾い上げると滞納のような白く丸いものが。その後は胎盤のようなものもドロドロと出てきてパニックでしたが調べても調べても分からず、胎嚢か定かではなかったので念の為写真だけとりそのまま流してしまいました。次の日受診した際のエコーにはなんにも写りませんでした、ダメかもしれないと本当はちょっと分かっていたはずなのに、少しでも可能性を信じていました分、診察台の上で絶望しました。

先生に写真を見せたところ、「恐らくこれが胎嚢で、胎盤でしょう」と言われパニックで流してしまった事を激しく後悔しました。「初期の流産は良くあることで、その子は遅かれ早かれ上手く成長できない子だから、自分を責めないでね」と言われましたが正直そんな事に耳を傾ける余裕もなくやはり自分がお風呂我慢すれば良かったのか、最低限の移動をすればよかったか、妊娠知った時に心から喜ばなかったからか、体調悪い日でも仕事に行ったからなのか、色々攻めました。

母親に付き添いで病院に来て貰っていましたが最後まで「絶対大丈夫だよ、女の子かな?男の子かな?笑」と場をやわらげてくれていた母親も、この時ばかりは無言で抱き締められて「またきっと来てくれるよ」その言葉を聞いた瞬間、我慢していた涙がブワッと溢れ出て車の中でわんわん泣いていました。

それから1年ほど経った今は妊娠出来たことを前向きに考えられるようになりました。それまで産婦人科に行くのも妊婦さんを見るのも少し辛かったですが知らないだけで身の回りには流産している方が沢山居ました。励みになりました。同時に"母親"の強さを知りました。親に対する感謝の気持ち、自分が健康に今を生きている奇跡。子供が苦手な私でしたが今はいつか自分も元気な赤ちゃんを産んで育てたいと思うようになりました。たった2週間でしたが私をままに選んでくれた我が子にとても感謝しています。(^︶^)

今でもたまに空を見上げると涙が出そうになりますが流産、死産をしてしまった子は自分の祖父母(曾等)達がお世話をしてくれているそうです。よろしくお願いしますと手を合わせ前を向きます。また、お腹に来てくれた時は精一杯の喜びで迎え入れてあげようと思います。

長くなりましたが、これが私の人生が変わった経験です。

後輩ママへのアドバイス

流産してしまうと混乱し何も耳に入らないと思います。一概には言えませんが。時間が解決してくれると思っています。一生忘れることは無いけれど、ですが、受精し着床、妊娠が成立しただけでもとてつもない奇跡なんだと言う事は忘れないで欲しいです。同じ経験をされたお母さん達も今妊娠中の方も無事出産された方も、それぞれの大切なエピソードがあって事情もあると思いますが今も世界中で頑張っているお母さん達を応援しています。私自身、アドバイス出来るほどの器では無いですが、これからも妊娠、出産、育児に関わる女性の皆様を心から応援しています。

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