妊娠高血圧症候群で29週で出産
初めて授かった子供。
去年の5月に妊娠していることが判明。
喜ぶでいっぱいで産婦人科へ!
『おめでとうございます?妊娠していますね?』
嬉しくて嬉しくてすぐ旦那に連絡した事を今でも覚えています。
それからは食事に気をつかい
葉酸のはいったサプリなどを飲んだりして
良いものは積極的に試したりしていました。
ただ2つ問題点がありました。
旦那も私も喫煙者だったこと
地元での妊娠ではなかったこと です。
妊娠してからはやめようと努力して、少しの期間はやめていました。
しかし、旦那はやめようとはしませんでした。
『わかった!ぢゃあ、私の前だけでは吸わないでほしい』
とお願いをしても
『大丈夫だから!結構皆すってるし』
と言われてやめようとはしませんでした。
それから色々なストレスが溜まっていった私は副流炎を吸っているなら
『私がやめてもこれじゃあ意味ないし』
と自分に甘え、1日三本程すってしまいました。
地元から関東に出て来たばかりで仕事仲間はいたものの、相談をしたりストレス発散出来るほどの仲では無かったため
常に出産への不安など一人で抱え込むようなかんじでした。
それでもはやく子供にあいたいなぁーとかそうゆうことを考えるととても幸せな気持ちでした。
26週の検診の時のことでした。いつも通り尿をだして、血圧を計って数字を記入して受付に出して
『今日は起きてるかなー?やっぱり男の子かなー?』とかそんな事考えてると
名前呼ばれて
『もう一度血圧計ってー!』とゆわれ
この時の血圧139でした。
もう一度計ってみると151までに。
そこからエコーをすると
4週間まえの22週から胎児が大きくなっていないとのこと。この時の815?とかでした。
心音をきいたり、いきなり慌ただしくなり
『妊娠高血圧症候群です。ご家族をよんで下さい。緊急入院します』
とゆわれ大きい病院に救急車で搬送されました。
搬送先の病院でも色々調べられ
1日三回以上血圧を計り
尿を週1で検査をし(尿にもたんぱくが出ていた為)
定期的にエコーで様子をみて
血圧を下げるためにマグセント(点滴)を打ち
1日でも長くお腹の中に居させよう!
との事でした。
もう高血圧な時点で普通分娩は無理と言われており、いつ帝王切開するかもわからない状況でした。
入院したのが11月17日。
少しずつ体重もふえてきて
『今日1日よく頑張ったね?明日も頑張ろうね??』と毎日お腹に手をあてる毎日。
この時でも850?とかそのくらいでした。
850?がどのくらいかも分からず恐る恐る看護婦さんにきくと
『んー。500ミリリットルのペットボトルに手足があって顔があって超小さいけどちゃんと人間の形してるんだよ』
って言われて涙を堪えるのに必死でした。
自分を責めてばかりいました。
たばこ吸ってなかったら。ストレスを貯めてなかったら。たばこやめて!とゆえる強さがもっとあったら。死ぬほど後悔してました。
先生から言われたことは
『26週で生むより27週で生もう
28週より29週で!出来れば30週行こう!』
因みに28週を過ぎると生存率がグンとあがると言われており
34週を過ぎる頃には肺の機能が完成し37週で正規産と言われる。
早産でしかも未熟児で障害を心配しないわけありません。
もし、こうだったら、ああだったら。
本当に本当に自分を責める毎日でした。
12月1日の9時頃。心音を聞きに看護婦さん。
なんか表情が固く何度も何度も病室をいったり来たり…。
もしや?と思い静かに看護婦さんからの言葉を待つ。
『エコー室に行きましょう』
そうゆわれエコー室に。先生から
『赤ちゃんから苦しいサインが出てる。これから帝王切開しようか。もう出してあげましょう』
そうゆわれ麻酔科の先生からの説明で
『母子ともに危険が及びます』とゆわれ
そうゆわれても引き返すことも出来ないので
『一緒に頑張ろうね』と赤ちゃんにゆい手術室え。
12月1日15時34分770?男の子誕生
全身麻酔だったけど赤ちゃんの鳴き声とお腹が変な感じしたのをはっきり覚えています。
目は開けれなかった為すぐに我が子には会えず…。(エコーより体重が小さかったのは誤差があるため正確ではないとゆわれていました)
そこから未熟児な為NlCUに入院しました。
我が子に会えたのは2日後
お腹の傷みに耐えながらやっとの思い出NlCUまでたどり着き。初の対面??
大泣きしてしまいました。
保育器に入り呼吸器をつけられて点滴をし
とても痛々しくかんじました。
そこから呼吸が上手くできなくなり
危険な状況がありましたが一生懸命がんばってくれました。
先生からは常にこうゆうリスクがある
とか難しい病気の名前を言われて
その可能性もでてきます。
と沢山沢山ゆわれてきましたが小さいだけで病気はしませんでした。
初めて抱っこしたのは1000?の時。
カンガルーケア(母と子が仰向けとうつ伏せになり肌と肌がふれ合うこと)したのは1500?の時。
そのおもさは 今でも忘れられません。
保育器に入ってるときからでしたが
肺の機能が完成するまえに産まれたのもあって呼吸を忘れてしまう事が何度もありました。
その度にNlCUの看護士さん達は走ってかけより足の裏を刺激し
呼吸を思い出させてくれてました。
最初のうちはそうゆうのも辛かったんですが
だんだん私も『ほら!ちゃんとスーハスーハして!』ってやれる程の余裕が出てきて
わたしのせいでこんな思いさせてごめんね。
とかなんかそんなんばっかりでしたけど
だんだん
向き合える強さみたいなのが自然に身に付いてきました。
ある日面会に行くと保育器を卒業しコットとゆうベッドに寝ていて私達と同じ空気を吸って過ごす我が子にはとても感動しました。
保育器の中に入り小さい手に点滴をし呼吸器をつけられていたことを思い出して涙が出ました。よくここまで頑張ったねって。
そこからはあと体重を増やしていき
沐浴をしたり
二人でがんばって授乳の練習したり
おむつ交換したり
そんな毎日を繰り返し2月27日退院しました。
その時の体重2882?。
大きくなったね。
これからも病院に通い発達などのフォローアップが必要です。
でもなんかきっと大丈夫な気がします。
どんなことがあっても乗り越えていける強さを我が子は持ってる。そして私も。
健康がどれだけがいいか
出産がどれだけ大変か
命がどれだけ大事か
生きている事を当たり前に思わない事
そんなことを私は今回の出産を通して学ぶことが出来ました。
妊娠高血圧症候群は原因がわかっていないとゆわれていますが、私の場合体質や遺伝ぢゃないきがします。
ストレスと喫煙ぢゃないかなって。
もしちがうとしても未熟児ってゆうことは喫煙は100%関係あると思います。
高血圧になっても喫煙しなければストレスためなければ
死ぬほどここまで後悔することがなかったのかなっておもいます。
NlCUには沢山の未熟児がいます。
こんなにいるんだぁって。
みんな理由はそれぞれ違っても1人でも多くの赤ちゃんが健康で生まれてきてほしい、
そうおもうからこうやって書かせて頂きました。
沢山たべてストレスためないで!喫煙しないで!!命を甘くみないで!!!
私みたいな思いをしてからぢゃ遅いんです。
健康な赤ちゃんがうまれますように。
心から祈っています。