療育開始後の次男、家族の変化
我が家の次男が発達障害(アスペルガー症候群・受動型)の診断を受けたのは小学2年生に進級する春休み(4月)でした。
検査の結果、知能指数は問題があるどころか平均よりはるか上の数字を出しており、心理士の先生の最初の一言は「もったいない」という言葉でした。人より多くのことを覚える能力は高いにも関わらず、次男はその情報を整理し、まとめる能力が低く、具体的な言葉を使って表現をすることが出来ないと説明を受けました。
療育の治療にかかる時間や費用、主人や家族にも負担をかけたくないと、療育をすぐにスタートすることが出来ずにいました。けれど、発達支援センターの心理士の方と相談しながら、日常的に出来ることをするだけでは限界があり、7月から自宅から距離の短い場所にある大学の心理相談室で療育相談をすることにしました。
病院付属の大学ではなく、相談室は医療機関でもありません。不安もありましたが、通院時間と相談費用は当初検査を受けた病院の半分以下であったため、私や次男は勿論、他の家族への負担も少なく済むと思ったからです。
相談室では私と次男は別室でそれぞれの担当の先生と面談・セラピーを受けています。曜日や時間などが明確でないとパニックになる次男のため、第二・第四の決められた曜日に実施することとなり、私自身も発達支援センターで受けていたよりも細かいアドバイスをもらえる状態となりました。
次男が別室でどんなことをしているのかを見ることは出来ませんが、様々な道具(積み木や恐竜のフィギュアなど)を使って、物を分別したり、たくさんの中からある条件の物を選びとって並べたりしているそうです。
始めた頃は私が「今日は何をやったの?」と聞いても「わからない・わすれた」と言っていた次男が、「今日は何を使って過ごしたの?」「それをどんな風に動かしたの?」と質問方法を変えると、具体的な物の名前や、ミニゲームのやり方など、不器用ながらに1時間で行ったことを答えてくれるようになりました。
答え方が分からないモノに対しては「わからない・わすれた」とばかり言っていた次男への声のかけ方を家庭内でも意識するうちに、長男にも変化が訪れました。
風邪をひいて学校を休んだ三男が「今日、給食なんだった?」と次男に聞いた時、やはり答えは「わすれた」でした。ですが、その横で聞いていた長男が「何を食べたか言えばいいんだよ」と教えていました。表情を明るくした次男の口から、全てのメニューが出てきたのです。三男は「全部覚えてるってすごい」と、純粋に褒めていました。涙が出そうな一瞬でした。
何も言わずに日常の変化を受け入れてサポートしてくれる長男の成長も嬉しく、次男のありのままを認めている三男の姿にも励まされ、落ち込んでいる暇はないと勇気づけられてきました。
次男の発達障害を認めていなかった主人もまた、そんな子どもたちの姿を見、変わり始めています。
パニック状態(次男の場合は固まって小刻みに震える)になる度に、何がいけなかったのか、改善する方法が本当にあるのか、自分には出来ることなどもう何もないと思っていた私に、療育の開始は「まだ、出来ることがあるんだ」と、希望を与えてくれました。
これからも、一日一日、家族の笑顔を願って、頑張っていこうと思います。
次男はは言語・知能などに全く問題はなく、また多動・衝動性は皆無だったため、私はずいぶんと次男がぶつかっている困難に気付くことが出来ませんでした。そのために、パニック状態の次男を追い詰める行動をしていた自分が許せない時が今もあります。
けれど相談室の心理士の先生は「ここまで来れた(療育まで辿り着けた)のは、お母さんが頑張って来たからですよ」と言ってくれました。
今、この体験談を読んでいる方も一緒だと思います。お子さんの他とは違う特性に気づいてあげられたのは、貴女が、本当にお子さんの事を大切に想っているす。
母親だから出来ること、母親にしか出来ないことが、まだまだたくさんあります。
私たち親子が通っている大学の相談室は、発達障害の療育以外にも、登校拒否児童の相談なども請け負っていて、発達障害と診断されない(グレーゾーン)人も通っているそうです。診断されないために病院での療育が難しい状況の方がいらっしゃれば、近隣の大学の心理相談室のドアを叩いてもいいかもしれません。
子どもは毎日を必死に生きています。私たちも必死です。だからこそ出来ることは、数えきれないほどあります。一人で抱え込まず、是非相談をしてみて下さい。