育児ノイローゼの体験談

出口の見えない日々

初めての子を出産してから半年近く。
思い描いていたハッピーなママライフとは違う日々を送っていました。
海外で出産し、日本人のママ友はほんの数人で、全員気軽に会える距離には住んでいない、という状況でした。
週に1度は地域のコミュニティ活動に顔を出すようにしていましたが、基本的には毎朝夫を送り出した後は赤ちゃんと2人きりで、近所を散歩する毎日。
また赤ちゃんは大変神経質でよく泣き、全く寝ない子だったので1日中自分の時間が持てない状態でした。

悶々とした日々を送っていたある日、日中赤ちゃんがギャン泣きし、どうしても泣き止まないときがありました。
あやしてもあやしても仰け反って泣かれ、もう無理!と思った瞬間、「うるさい!」と赤ちゃんの口を塞いでいました。
我に返って泣きながら赤ちゃんに謝りましたが、その後はスイッチが入ったようにすぐ赤ちゃんに対してキレるようになってしまい、乱暴にベッドに放り投げたり、気づくと泣き叫ぶ赤ちゃんを放置してキッチンで1人頭を抱えていたこともありました。
夫にはその都度話をしていましたが、「ふーん」という大変薄い反応しか返ってきませんでした。

赤ちゃんに対する申し訳なさと自己嫌悪で、毎晩ベッドに入ると窓を見て「ここから飛び降りよう」「誰にも知られず消えてなくなりたい」と思うようになりました。
夫に「カウンセリングに行きたい」と訴えましたが、「行けばいいじゃん」と言われ、夫には同行する意思もカウンセリング中子どもを家で看ていようという意思もないのだとわかり、諦めました。
出産前、母のように慕っていた祖母を亡くし、身重だったため帰国して葬儀に参加することを止められてしまったのですが、そのことも私の精神状態を不安定にさせていたと思います。
子どもと関係なく、ふとしたときに言い表せない不安と恐怖に襲われることがありました。

そんなとき、日本にいる義母に育児の辛さをやんわりと書いて送ったのですが、返信には一言も私を責める言葉がなく、ひたすら私を労う言葉と可愛い孫に早く会いたいという思いに溢れていました。
そのメールに救われたように思います。
私はこの環境でできる限り精一杯やっているんだ、この子を心待ちにしてくれている人がいるんだということを認識でき、それからは徐々に落ち着いていきました。
子どもが1歳を迎える頃にはだいぶ良い意味で「手を抜く」ことを覚え、家事が予定どおり進まなくても気にしない、それよりも私と子どもがハッピーでいられることを第一に、と考えられるようになり、突然の感情の爆発・暴走がなくなりました。
今も私が子どもにしてしまったことは忘れていませんし、一生ごめんね、の気持ちを持って生きていかなければならないと思っています。
でも、それ以上にたくさん抱きしめ、笑いあい、愛情を注いでいきたいと思います。

後輩ママへのアドバイス

当時の私は、とにかく周りに頼ることが苦手でした。
でもそれではママも子どもも誰のためにもなりません。
近所に頼れる家族や友人がいなければメールでも電話でも良いので、こちらからどんどん連絡を取って話を聞いてもらいましょう!
とにかく自分で自分を孤独にしないことです。
また、私の夫のように非協力的に感じられるパートナーをお持ちの方もいらっしゃるかもしれませんが、私の夫の場合、赤ちゃんの扱いがわからないのでどうしたらいいのかわからなかったというのが本音のようです。
女性は妊娠中から赤ちゃんとの絆を感じて母になるなどとも言われますが、男性はそうではないのかもしれませんね。
パートナーが1番身近に頼れる人なのですから、是非利用しましょう(笑)
察して欲しいと思う気持ちを抑えて、具体的に今自分はこういう悩みを抱えているからこういう手伝いをしてほしい、と伝えた方が手っ取り早いし誤解を生みにくく確実です。

ママと赤ちゃんが笑顔で健やかに過ごせるように、ママが「ママ失格だ!」と自分を責めるようなことはせず、周りとコミュニケーションを取りながらみんなで一緒に子育てする社会になることを心から願っています。

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