予定のはずが緊急帝王切開
長男の時は予定日超過での心拍低下があり緊急帝王切開になりました。
その2年後に双子を妊娠しました。
予定日は3月。
でも、経産婦と双子妊娠を加味して1ヶ月早めの予定帝王切開にのりかなー?っと看護師さんからの説明がありました。
2月の中旬ごろかなーっとウキウキしながら性別や名前を考える日々。
今回も前回と同様な妊娠生活なのかなー?っと思っていました。
しかし、初期から違うつわりの重さ!
長男が動き回るだけで吐き気がします。
とうとう家事が出来なくなり実家へ。
長男と主人は義実家へ、バラバラ生活の始まりです。
良かった点は両家ともに電車で行ける距離。
つわりも治り安定期に!
(双子に安定期はないと知りませんでした。)
浮かれた私は、親子3人で県内ので有名な牧場へアイスや新鮮な牛乳を堪能の為にお出かけしました。
その後の検診で穏やかな日々が一転入院生活の始まりでした。
双子の二つの羊膜が剥がれているとのこと。
午後にまた観せてもらうのでご主人を読んでくださいとの説明で震える指で旦那に連絡。
その時も義実家へ子供と一緒に遊びに行っていたので長男を置いて来てくれました。
主人と私、主治医ともう1人の先生が見守る中モニターに映る羊膜の剥がれ。
様子観察になり、月1の検診から週3回へ
しかし、その一週間後に剥がれが大きくなっているため管理入院へ。
モニターで観察するためだけの管理入院のため、自由がきいた。
点滴を刺している同室者からうらやましがられました。
しかし、その1ヶ月後には自分も同じ点滴を刺すことになるとは‥。
羊膜の変化が見られないので一時退院の許可が出る。クリスマスとお正月は家族3人で過ごすことができた。
忘れもしない長男の誕生日、主人がインフルエンザにかかりました。
看病と病院への送り迎え。
無理をする日々が続き、主人が治った時には私のお腹は、歩けないほど痛くなりました。
30週目に緊急入院
ウテメリンを点滴して、吐き気と火照り、手の震えの症状が出ました。
針の場所は3日ももたなくて直ぐに痛みが出て、位置変えてもらっていました。
何としても肺が出来上がりまでお腹にいてもらいたい!がんばれー!大きくなれー!と応援しながら安静の日々。トイレに行くときは、コールを押して車椅子に乗り看護師さんが押してくれました。
とにかく安静。
私は動く保育器!意思はあるけどお腹にいる子のために安静に過ごすことだけを心がけました。
しかし、一時点滴を外して入用準備のためベットの上に立ち荷物をロッカーから出そうとした瞬間に!破水!
私の悲鳴を聞いた同室者がコールを押してくれました。
そのまま車椅子に乗り処置室へ。
いろいろな書類にサインをしましたが、子供をこれ以上望んでいなかったので卵管を縛る処置も希望していたので主人とサインをしました。
日曜日だったので、いつもより人出が足りないので人を集めるために時間がかかったとか?2時間ぐらい経ってから手術へ
1970gと2012gの産声の元気な女の子が生まれました。直ぐに保育器に入れられました。
退院まではなかなか呼吸が定まらず退院まで季節が冬から春へとかわっていました。
その間NICUに母乳を運びに通う日々。
2人分の母乳、頑張って絞りたいために長男は義実家で過ごすことで集中できました。
本当に両家が近くて良かったです。
双子は体力が要ります。
しかも母親は1人だけでは力不足です。
頼れる環境を整えて、会えるのを楽しみにして過ごしてください。
無理をなさらず双子の胎動を楽しんで下さい。
生まれたら1〜2年はあっという間です。