「理想の育児」とのギャップ
産前より「母乳育児」を強く希望していた私は、臨月に入った頃から乳頭マッサージなどを積極的に行ってきました。
産婦人科の方針により出産から6時間後、初めて我が子におっぱいをあげてみると、授乳量はまさかのゼロ。それから退院までの間は、授乳の度に助産師による乳頭マッサージを受けました。そして産後4日目にしてようやく我が子が飲んだ母乳は、たったの2ml。
そこから少しずつ授乳量は増えてきましたが、ついに退院までに10mlを超えることはありませんでした。
それでも母乳育児を諦めきれない私は退院したその足で、母乳教室へ向かいました。そこで乳腺を開くマッサージを施してもらい、食生活や自分で行うマッサージについての指導を受けました。
産後1ヶ月までは週に2回、その後は週に1回、生後3ヶ月頃には2週間に1回と、教室へ通う回数は順調に減っていきましたが、それでも我が子の1回の授乳量は50mlを超えることはなく。多い時で1日15回ほどあった授乳のあとには少量の粉ミルクを与える日々でした。
授乳から1時間と空かずに我が子は大泣き。そんなことは日常茶飯事でしたが、母乳量を増やすために1日の粉ミルクの量は50mlまでとの指導のため、母乳の出ないおっぱいをひたすら吸わせる毎日。はじめはわき目も振らずに吸い付くのですが、暫く吸うと、やはり母乳が出ていないので泣き出してしまう。おっぱいを叩かれ、引っ掻かれ、つねられ、乳首は切れ、傷だらけのおっぱいを見ると涙が溢れました。
厳しい食事制限や日々の授乳が苦痛で、子どもが泣くと激しい動悸に襲われました。今思えば、これが「産後鬱」の始まりだったのでしょう。
それでも母乳育児を諦められなかった私は、母乳に良いと言われるハーブティーを飲んだり、漢方薬を試したりしながら、このような生活を子どもが8ヶ月になるまで続けました。
毎日泣きながら授乳をしている、母乳育児が辛い、と言うことを母乳教室の先生には言うことができなかったのですが、ある日の教室で先生から「辛いならやめてもいいんだよ」と言っていただいたことで、憑き物が落ちたような、肩が軽くなったような。何かが吹っ切れたようで、恥ずかしながらその場で大泣きしてしまいました。
先生は「お母さんが笑顔でいることに意味がある。泣きながら与える母乳より、笑顔で与えるミルクが、赤ちゃんの心にとってもお母さんにとっても何よりの栄養だよ。」と言っていただき、私の初めての母乳育児は8ヶ月と少しで終わりを迎えました。
それまでは母乳の出ないおっぱいを吸わせることが辛く、我が子が泣くことが恐怖でしかありませんでした。しかしミルク育児に切り替えるとその悩みは一気に吹き飛びました。
そうしていくうちに私の心にも余裕ができ、暗い気持ちや動悸と言った症状はミルク育児に切り替えて1ヶ月もしないうちにおさまっていったのです。
とにかく1人で溜め込まないこと!
私は母乳育児が辛い、もう辞めたい、と言うことを誰にも言わずに8ヶ月間過ごしてきました。もしこの間に誰かに少しでも自分の気持ちを話せていたら、もっと我が子とも、母乳育児とも向き合えたのではないかと思います。