切迫早産(全般)の体験談

思っている以上に負担があった

「切迫早産」…妊娠出産に無知な私はそのような言葉を恥ずかしながらそう診断を受けた時まで聞いたこともありませんでした。私が切迫早産になった頃、それまでと同じように車で職場にいき、仕事をし(といっても周りも妊娠していることを知っていたので無理はないようにと言われていました)家に帰ってからは旦那さんが帰宅するまでにご飯を作り、体力があれば洗濯を畳むことをしていました。少しずつお腹が出始め、胎動も感じられるようになりワクワクドキドキしていました。実家では姉と私が結婚をし家中家具の配置を変えたり大掃除をしていて、診断を受けた前日も実家に行き、自分の荷物の整理をしていました。午後、実家から家に帰る途中、旦那さんとショッピングモールで待ち合わせをしました。買い物中、何だかお腹が痛くなりその時はただの腹痛だと思いながら車も運転して(旦那さんは飲んでいたので…)家に帰りました。家に帰ってもキリキリする腹痛は治らず、そのうちだるくなってきました。夕飯もあまり食べられずお風呂もだるくて入る気もせず…動き過ぎで疲れたかな…寝たら明日治ってるかな…そう思いながら布団に入りました。が…キリキリする…お腹がキリキリして眠れない…朝がきて目覚めてもキリキリする…職場に電話し産婦人科に行ってから出勤することにしました。もちろん車なんか運転できず、だるい中やっと支度をしタクシーで産婦人科へ。先生からは「もう少し遅かったら入院だったね。2カ月間自宅安静。家事も散歩もダメ。寝て過ごしてね。」と言われ診断書に「切迫早産、自宅安静8週間」と書かれてしまいました。正直その文字を見たとき頭が混乱しました。仕事はどうしよう、やっと悪阻もおさまり色々出掛ける予定を立てていたのに、2カ月間って…病院からはお腹の張り止めの飲み薬が出されました。それから職場に行き診断書を提出し即座に実家へ帰され、2カ月間の自宅安静が始まりました。自宅安静中は食事とお風呂トイレ以外は布団で寝て過ごしました。日中はテレビを見たり音楽を聞いたりしました。雑誌や本も読みたかったのですが、寝ながらの体勢はキツく私には出来ませんでした。春のぽかぽか陽気から梅雨になり、梅雨もあけお腹の赤ちゃんも6カ月から8カ月になり、その間産婦人科には2週間毎に検診で通いお腹の張りなど見てもらい、薬も徐々になくなり張った時に服用するようになりました。実家での安静中は旦那さんが泊まりできてくれたり、母には食事を初め身の回りのことはやって貰っていました。2カ月間は長いようであっという間でした。その間赤ちゃんのことを色々調べたり必要な知識を得たりできたと思います。2カ月後からは仕事復帰をし(といっても切迫早産になっていたので仕事量も激減…)1カ月も経たないうちに産休に入りました。産休中は夏の暑さもあり家からほとんど出ず、旦那さんが休みのときに気分転換で出掛ける位でした。無事に出産を迎えることができ、今では元気によく食べる子に育っています。実家と旦那さんの協力がなければ乗り越えられなかったと思います。

後輩ママへのアドバイス

切迫早産と聞くと本当に辛いと思いますが、ママの気力が1番だと思いますが。私はあえて最悪のことは考えずに過ごしました。家事や仕事など思い悩むことがあると思いますが、甘えられることは甘え赤ちゃんのことを1番に考えるといいと思います。

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