切迫早産(全般)の体験談

安静の基準ってなんだろう・・・

もともと子宮頚管が34ミリで比較的短いと指摘されていたのですが、23週目に結婚式を控えた直前で30ミリに。

医師から「赤ちゃんを守れるのはあなたしかいないんだからね!」ときついお言葉を受け自宅安静を徹底。

仕事はお休みをいただき、必要最低限の家事以外は横になっていました。

そのおかげか次の検診で頚管長も長くなってくれたので、無事結婚式に臨むことができました。

しかし、疲労のせいか式の3日後の診察で28ミリになってしまい、有無を言わさず即入院。

私が通っていた産院は赤ちゃんのことを第一に考えていてくれていることもあり、すべての基準が厳しめと聞いてはいましたが初産に加え人生初の入院にパニック。

看護婦さんにいつ退院できるかと聞いても返ってくるのは「わからない、経過次第」という言葉のみ。

それに加え、風疹の予防接種を受けるか抗体があるという証明書を提出しないと一切面会禁止という状況でだったので、赤ちゃんの状態への不安と誰にも会えないという状況から毎日泣いていました。

24時間の点滴でのウテメリンの投与と、トイレと食事、体拭き以外寝たきり徹底の毎日を過ごし、数日後にはNSTでのお腹の張りもなく、子宮頚管長も34〜30ミリの間と落ち着いてくれたので、入院から2週間で退院することができました。

入院してから正産期まで退院できない人もいると聞くので、私は相当早く退院できたと思います。

退院時に看護婦さんから「上げ膳据え膳、階段禁止、お風呂もシャワーのみ、寝たきりを徹底してください」と言われたので義実家でなにからなにまで面倒をみてもらい、家から一歩も外に出ない生活をしていました。

今まで普通にやっていたことが一切できないとなると相当なストレスになりましたが、赤ちゃんのためだと思い頑張りました。

義母が献身的に支えてくれたことは本当に有り難かったです。

ですが、そんな生活とは裏腹に、またもや子宮頚管が短くなってしまいついには25ミリに・・・。


なにかあったときに対応できるようにと大病院への転院を進められました。

いざ大病院へ検診にいくと、20ミリをきらないと入院にはなりませんとのこと。

その時点で子宮頚管長24ミリだったのですが、家事は必要最低限、車の運転も少しならOK。

無理して動かなければ大丈夫ですよ〜と、前回の病院とは異なるゆるーい安静の基準に拍子抜けしました。


今では仕事は辞めたものの、旦那は家事等せず一切動かないので必要最低限の家事と買い物、近場への運転程度はしていますが子宮頚管長は変わらず24ミリをキープしたまま32週に突入しました。

36週で元の病院に戻ることになっているので、あと少し頑張りたいと思います。

後輩ママへのアドバイス

病院によって安静の基準は全く違います。

「切迫早産」という言葉に神経質になりすぎてしまい、不安ばっかり大きくなってストレスを抱えてしまうのが体にも赤ちゃんにもかえってよくない事です。

しかし、お腹の中の1日は生まれてからの一週間分とはよく言いますが、入院や寝たきりの生活も赤ちゃんのため。自分を責めたりせず、育児に向けた体力温存期間だ、くらいの気持ちで体を休めてください。

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