誰にでも起こりうる繋留流産。
初めて妊娠がわかったのが、生理が遅れてから4日後の4w4dの時でした。
旦那と嬉しくって思わず病院でやったー!!と叫んでしまった程!!
元々、生理予定日にバチッと生理がくるし今回は期待してたので期待通りといった感じ!!
2週間に1回でいいところを心配でお腹が痛い気がするなど理由をつけては毎週、病院へ行ってました。
大きくなっていく我が子を見るのが嬉しくてたまりませんでした!!
つわりは、食べづわりで食べてないと気持ち悪い…。
しかも食べたいと思うものは、今まで食べたことのない おばあちゃんが食べるような昔のお菓子。さくら餅とか餡子の入ったお菓子ばかり。それでも赤ちゃんのためと、つわりがあるのが苦しくもあり嬉しくもありました。
7w7dになり、ポコポコ動く赤ちゃんの心拍が見えて『本当に生きてるー!!』と感動していると先生が『赤ちゃんちょっと小さめだね。まぁ2週間後には母子手帳交付できると思うから、心配しないでまたきてね』と言われました。
ただでさえ心配症なのに、そんなこと言われたら心配しないわけがない…。
携帯で赤ちゃんが大きく成長する方法と検索して、野菜を食べたり、ちゃんと葉酸を飲んで規則正しい生活をって書いてあったのでその通りに生活してました。
2週間後と言われてたのに、心配でいられなかったので8w7dで受診。
エコーで映し出された我が子は前回と同じ大きさのままで、いつもよりも長い時間丁寧に見てました。
あれ?どしたのかな?と思っていると先生が『別室で話すね。今日 旦那さん来てる?』と言われ診察室に夫婦揃って入りました。
先生の口から出たのは、『赤ちゃんの心臓が止まっていて成長も止まっていてお腹の中で亡くなってます。このままお母さんの体にいるとダメなので、手術して出しましょう。明日はどうですか?』と言われました。
旦那と私は何が起こったのかわからず、その後 一旦車に戻ってしばらく経ってから抱き合って大泣きしました。
頭が冷静になってから、夫婦で話し合い、明日になっても赤ちゃんの様子が変わらないから手術を受けるという結論を出しました。
次の日、一睡も出来ずに病院へ。
状況は変わらず、むしろ赤ちゃんが小さく萎縮していました。
手術を受ける覚悟をし、13時の手術の時間まで病室で手術のための点滴をしたり、痛み止めの注射を受けたりしました。
手術は、10分程度で1時間以内には手術室から出てきたみたいです。
妊娠中には、ありえない赤い鮮血の出血をみて、赤ちゃんもういないんだと悲しさでいっぱいでした。
妊娠中も経過は順調で、出血もなくお腹の張りもありませんでした。
もちろん、流産しないように重たいものは持たず、安静に過ごしてました。
繋留流産は、誰にでも起こりうる事らしく防ぎようのない事らしいです。
その後、赤ちゃんを病理検査すると染色体の異常でした。
お空に帰ってしまうとわかっていても私のお腹に来てくれた赤ちゃんに『ありがとう!大好きよ』といつも思っています。
あの時のことを思い出さない日なんてないですが、1年経とうとしている今になって、やっと次の子をと考えられるようになりました。
私の場合は繋留流産で防ぎようのない事でしたが、とにかく身体を温めることだと思います。妊娠中って体温が高くて熱っぽく感じますが、下半身だけは1枚多く着ましょう!!
身体を温めることで、血流もよくなりますから。