3人目の妊娠で前置胎盤でした
私は長女が5歳、長男が3歳の時に、3人目の妊娠がわかりました。
上2人を出産した同じ病院で出産を…と、考えていましたが、病院の都合で同じ所では出産できませんでした。
上2人との立会い出産をしたいと考え、ご自宅でされている助産婦さんのところへ行きました。助産院は提携している個人病院での定期的な検診が必要な為、個人病院の先生と助産婦さんに診て頂く形になりました。
この子の妊娠の前に一度流産を経験していたので、15週を過ぎた頃は、少しホッとして、最後になるだろうマタニティライフを上の2人と楽しもうと思っていました。
20週に入った頃、ちょうど2月で、私は外での立ち仕事をしていました。寒いのもあるのか、頻繁にお腹が張り、検診を受けたら、全前置胎盤との診察を受けました。
エコーを見たら、下にべったりと胎盤がかぶさってる状態でした。上2人の出産は何事もなく出産までいっていたので、前置胎盤という言葉を聞いたのも初めてで、たくさんネットで調べたのをよく覚えています。
このままでは助産院ではおろか、個人病院での出産もできないと告げられ、大学病院への転院が決まりました。
胎盤は血液の塊、出血したら危ない為、お腹に負担をかけないよう、家事や上2人の子育てなどは主人や母に手伝ってもらいながら、ほぼ1ヶ月寝たきりのように過ごしました。
身体は元気で、体調もいいのに、ひたすら寝てるだけ…いろんなことを考えました。不安でたまりませんでした。
そんな時に、同じように前置胎盤を経験した友人が「大丈夫大丈夫、あがれーあがれー」とお腹をなでながら言っていたというのを聞きました。初めはそんなおまじないみたいなの効き目ないだろうと思いましたが、やってみると、なんだか気持ちは落ち着きました。
主人や子どもたちも一緒に「大丈夫、あがれー」と、お腹をなでてくれました。
27週に入って、大学病院に検診に行くと、なんと全前置胎盤だったのが嘘のように胎盤が上がっていました。先生もとても驚いていました!大学病院は危篤患者しか受け入れられない…とのことで、私はまた個人病院へ転院することになりました。個人病院の先生は「この調子なら助産院での出産も可能かもしれないけど、どうしますか?」と、聞かれましたが、検診に付き添ってくれていた助産婦さんに「出産は何が起こるかわからない!今までのこともあるし、何かあった時、助産院では対応が遅れるため、出産の時は私が付き添うから、個人病院で出産しましょう」と言われ、助産院での出産は諦め、個人病院での出産となりました。
その後の妊娠経過は順調で、39週5日、陣痛が来て、主人と2人子どもに立会いのもと、15時間40分と3人の中でも最長の分娩時間で次男が産まれました。
けれども、感動の親子の初対面をしていると、先生や看護婦さん、助産婦さんたちが慌ただしくなり、主人たちは外へ出るよう言われていました。私は何が起こってるのかとオロオロしていると、出血が止まらないと言われ、しばらく処置をうけ、ようやく出血が落ち着いた頃には、目の前が朦朧としていました。
弛緩出血、経管裂傷による出血多量とのことで、入院中はひどい貧血でしたが、あかちゃんも元気で、無事に一週間で退院することができました。
どこで出産するかと、決める時に、助産婦さんが出産は何が起こるかわからないから…と、病院での出産を勧めてくださって、よかったと本当に思いました。
3人目の妊娠で、今まで経験したことないことばかりでしたが、たくさんの先生に診て頂いて、家族に支えられて、無事に出産することは奇跡と感謝に溢れていると思いました。
妊娠出産は本当に何が起こるかわからないから、不安もたくさんだと思います。けれども、家族や病院の先生など、支えてくれる人が必ずいるので、1人で抱え込まずに赤ちゃんと会えるのを楽しみに頑張って欲しいです。