稽留流産の体験談

赤ちゃんと過ごした儚い12週間

3人目の妊娠に気づいたときにはもう7週になっていました。
夫婦生活がほとんどなく、わずかな胃痛以外その時点ではつわりの症状もなかったので、妊娠がわかったときには喜びより先に「まさか」という驚きに襲われたのが本当のところでした。
でもその後すぐに受診してすでにしっかりと心臓の鼓動を響かせている赤ちゃんの姿をエコーで確認した途端、不思議なことにつわりが始まり、眠さ・だるさ・食欲不振・偏食と戦う日々が始まりました。

9週に入り、定期健診で順調と言われ、成長した赤ちゃんの姿をエコーで見て、心音も聴かせてもらい、3人の母となる喜びに浸っていました。
その後10週に入る頃には吐き気もほとんどなくなってきていましたが、私は1人目のときも2人目のときもつわりがとても軽かったので、気に留めることもありませんでした。
ただ1つ少し気になっていたことが。赤ちゃんの心音が聴ける家庭用の超音波心音計を2人目妊娠時に購入し、今回も使用していたのですが、前回は9週に入る頃には心音が聴こえていたのに今回はまだだったのです。
使用するのは初めてではないので操作の慣れ不慣れの問題ではないだろうし…もしかして…と不安が過ぎることもありました。でも、臍帯音のようなものは聴こえていたので、気にし過ぎ!と思うようにしていました。

そのまま何事もなく12週に入り、定期健診が。
経膣エコーが始まってすぐ、ドクターから険しい声で「つわりありますか?」と訊かれました。
「えぇ…まぁ…軽くなってきてはいますけど、まだときどき少しムカムカしたりして…」と呟く私の言葉を遮るように「赤ちゃん、動いてないんですよねぇ!」と断じるドクター。
「えっ…」その後は言葉になりませんでした。
カーテンがサッと開けられ、「ほら」と突然現実を突きつけられ、頭が真っ白になりました。
見せられたエコー上の赤ちゃんは、確かに心臓が動いておらず、もちろん身体の動きも見られませんでした。
「出血とかなかった?この大きさだと前回の健診後すぐに亡くなっちゃってたねー」
そして診察室で淡々と手術の説明が始まりました。
「とりあえず血液検査だけ今日やってって。」と言われ、ボーっとした頭のまま、「何を調べるんですか!?赤ちゃんが亡くなってるかどうかの確認ですか!?」と訊いたのを覚えています。
ドクターからは白けた顔で「え?いや、もう赤ちゃん亡くなってるのはさっき見たでしょ!手術受けるのに感染症とか起こしてるといけないから、それを調べるための検査!」と返されましたが。

「子宮内胎児死亡」と書かれた手術同意書を持たされてクリニックを出、近くの公園のベンチへ。
夫に電話をしてありのまま事実を告げました。
それまでは下の子を連れていたこともあり気丈に振舞っていたつもりでしたが、夫の号泣する声を電話口で聞いた途端、私も糸が切れたように泣きじゃくってしまいました。
その日のうちに上の子にも報告。
赤ちゃんの誕生を心待ちにしてくれていただけにとても悲しんでいましたが、妊娠がわかったとき1番喜んで支えてくれたのが上の子だったので、赤ちゃんとお別れしなければならないということもちゃんと伝えなければ、と思ったのです。

手術は1週間後でした。
(ドクターによっては母体に感染症が起こるのを懸念して即日処置したり、私が以前住んでいたアメリカでは基本的に処置はせず、自然に胎児が出てくるのを待つという方針のようで、個々人によって方法は違うかと思います。)
前日21時以降は絶飲食、朝8時半頃クリニックに到着し、ラミセルという細い棒状のものを何本か、麻酔なしで膣から子宮口に挿入します。
私は経産婦で過去のお産でも子宮口の開きがスムーズな体質だったからか、このラミセル挿入時も全く痛みがなく、挿入後には生理痛のような下腹部の鈍痛があると聞いていたのですが、それもありませんでした。
そのまま3時間弱、子宮口が十分に開くまで病室で過ごします。
私が通された病室は、皮肉にも出産のために予約した部屋でした。
がらーんとした部屋で1人、泣きながら赤ちゃんへの思いをノートに書き留めたり、放心状態でTVを見たりして過ごしました。
時間になるとトイレに行くよう促され、その後すぐに手術室へ。
帝王切開などでも使われるハッピーな場でもあるはずなのに、私は赤ちゃんとお別れしに来たのか…と絶望的な気分で涙が止まらず、でもすでに両手は固定されているので、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていたところ、看護師さんが「辛いよね」と涙を拭いてくれました。そのクリニックで、慰めの言葉をかけてくれた最初で最後の方でした。
手術自体はあっという間で、15分程度で終了したようです。
私は静脈麻酔投与開始後10秒ほどで意識を無くし、次に目覚めたのは先ほどまで待機していた病室のベッドでした。
目を開けると目の前にちょうど様子を見に看護師さんが来ていて、「頭が痛い」と呟いた記憶があるのですが、またすぐに眠ってしまい、15時頃までは強烈な眠気と二日酔いのような頭痛で寝たり起きたりでした。腹痛は一切ありませんでした。
その後診察室でタンポンを抜いてもらって傷の様子を確認し、1人でタクシーに乗って帰宅しました。
まだ頭痛と焦点のあわないフワフワした感じがあったので、夕食は外食で済ませました。
吐き気はなかったものの、さすがに食欲が湧かず、ほとんど食べられませんでした。
それでも一晩寝て起きると体調は嘘のようにすっきりし、つわりも全く無くなっていました。

1週間後に診察に来るよう言われていましたが、それまでは普通に過ごしました。
ドクターからは「まぁ無理はしないようにね」としか言われていませんでしたので、出血の様子等(手術翌々日くらいまでは生理3日目ぐらいのしっかりした出血量でしたが、それ以降はピンク色やオレンジ色のおりものといった感じでした)体調に気を配りながら、そして入浴はせずシャワーのみ、という言いつけだけはしっかり守って生活しました。
流産したことで自暴自棄になり、暴飲暴食をし始めてしまい、1週間で2kg体重が増えてしまいました。

1週間後の診察で、経膣エコーにより子宮内に残留物がないかの確認をしてもらって、手術時に病理に提出した胎児の検査結果を聞いて終了でした。
結果、胞状奇胎や何らかの悪性のものは見つからなかったということで、恐らく染色体異常だろうとのことでした。
ドクターからは「今の出血を1回目と考えて、3回目の生理を見送ってから子作りに励んでね」とにこやかに言われましたが、とてもじゃないけどその場で笑顔で「はい!」なんて言えず、ひんやりした気持ちで診察室を後にしました。

それから10日ほど色のついたおりものが出続けた後、15日ほど間を置いて生理が来ました。
でもこの生理、通常のものとは全く異なっていて、2日間ピンク色のおりものがごくごく少量下着につく程度。
おりものシートもいらないくらいでした。基礎体温も高いままでした。
その、生理なのか不正出血なのかわからないようなものの約30日後、やっと生理らしい生理が来ました。
このときの出血量も通常よりはだいぶ少なく、血の赤い色を見たのは2日ほどで、後は色のついたおりものという感じでしたが、5日ほど続きました。体温は低温層と高温層の中間の温度でした。
そしてそれから30日ほど経ってやっと通常の生理に戻りました。
心身ともに安定した毎日を送っています。

後輩ママへのアドバイス

稽留流産はほとんどが染色体異常が原因だと言われています。ママが無理したからとかそういうことではありません。
それでも周りから「どうして無理したの!?」と言われることもあると思います。私がそうでした、すごく辛かったです。
誰か1人でいいので思いを共有してくれる人を作るといいと思います。
私は母や友人からは上記のような言葉をかけられて辛かったのですが、幸い夫が側にいてくれました。
気の利いた言葉をかけてくれる人ではないけれど、ママの辛さ、わかってるよ。そう示してくれました。
また、流産や死産を経験したママの会も全国にいくつか存在します。
インターネットで検索してみてください、たくさんのママたちと思いを共有できると思います。
お互いに、お空に還っていった赤ちゃんのことをいつまでも胸に留めて生きていきましょう。

参考になったらここをクリック(ログイン不要)
ありがとう!9 ありがとう
\ あなたも体験談を投稿しませんか? /
次の体験談へ
\ あなたも体験談を投稿しませんか? /