稽留流産の体験談

『来てくれてありがとう』

37歳の私が妊娠が判明したのは妊娠5週の頃です。それまで何度もタイミングをみて自然にできないかとトライしていたのですがなかなか授からず。正直不妊治療をどうするか悩んでいたのですが『こわい』という漠然とした不安があり婦人科へも行けていませんでした。思い切って婦人科へ行き卵子の大きさや状態(後どのくらいで排卵するかが超音波で分かる)を見てもらい医師に言われたとおりのタイミングでトライしていました。初めてだったのでとりあえず試しにやってみようといった感じでしたので特別期待もしてなかったのですが。

そろそろ生理かな〜って時期になっても基礎体温はいっこうに下がらず。それからなんだか少しだけだるい…

妊娠をあまりに望むが故の想像妊娠的なものかな〜なんて思っていました。でももしかして、と検査薬したら妊娠判明!

うれしすぎて家中うろうろしちゃいました。

それが妊娠5週頃です。

すぐに婦人科へいっても分からないことが多いとネットに書いてあったので1週間はガマンして普通に仕事へ行き(走ったりはしないよう気をつけて)6週頃くらいに経膣エコーしてもらいました。

週数が早すぎて赤ちゃんは見えませんでしたが赤ちゃんの入ってる袋(胎?)が見えました!超音波の画像を見せてもらいながら涙が溢れてきました。赤ちゃんや心拍が確認できてないのでまた2週間後に、といわれまた不安な日々の始まりですが

この時はまさか自分が流産するなんて思いも寄らなかったです。

だって妊娠はしてしまえばもう大丈夫。あとは産まれるのを待つのみ、みたいななんの根拠もない自身があったから。なんであったのかは分かりませんが。

2週間後産婦人科でみてもらうと超音波で素人が見ても動いてるものが!心拍!

でも先生はうかない話し方でした。

『心拍は一応あるけどすごく弱いね…』

詳しく話を聞くと通常はもっと力強く拍動しているんだそう。初めて見るわたしはちゃんと動いてるイコールもう大丈夫、としか思わなかったけど違ったようです。

でもここから強くなるとかだってあるんですよね??

すがるように聞いても先生には突き放されるように『可能性は限りなくゼロに近いと思います』と。

このままお腹中で赤ちゃんの心拍が止まって亡くなってしまうことを稽留流産というと説明されましたがもうその言葉も頭に入ってきませんでした。

確認のため1週間後に再診できてもらい心拍が止まっていたら赤ちゃんを出す処置を考えた方がいいよ、とのことでした。

どうしてこんなことになったのか。

食べ物もカフェインもお酒も気をつけたし、無理せず走ったりもしないようにしたし。ストレスはなくせないけど…

とくにお腹痛いとか出血とかも、自分で分かるような症状は全くなかったんです。

わたしの何が悪かったのか。

結局、その後の診察で何度見ても心拍は止まっていて確認できないままのため妊娠9週で赤ちゃんを出す処置を全身麻酔でしてもらいました。

泣いて泣いて。どうして私が、どうして私の赤ちゃんが。という思うと自分を責める思いとで苦しくて辛くて。

処置が終わって1週間は安静に過ごしてからいつもの生活に戻りました。

ただこの時の辛さや思いは、誰かと共有できるようなものではありませんでした。

旦那さんでさえも。もちろん辛くて落ち込んではいましたが男性には分からない、誰とも共有できないということでますます自分を責めて過ごしていたように思います。

後輩ママへのアドバイス

わたしも何度も自分を責めました。何がいけなかったんだろう、と。でも何にも悪くないんです。10人に1人は稽留流産になるとのこと。わたしの先生もそう説明した上で『赤ちゃんがママは妊娠できるから心配しないで』と教えてくれたんだよといってくれました。

自分を責める方も多いかもしれませんが初期の稽留流産はほぼすべて赤ちゃんに原因があるのだそうです。

どんなに気を付けてもだめなときはだめ。どんなに無茶をしても大丈夫な子は大丈夫。

誰かと話して気が楽になる、なんてことはないかもしれません。辛い気持ちを抱えたままそれでも私の所に来てくれたことに感謝して『ありがとう、また会おうね』と。

そうなるまでには時間が必要です。

ゆっくりと受け止めていけばまたいつか必ず会える日が来ると信じて。

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