切迫早産での子宮頸管長の長さの変化の体験談

2人目妊娠でまさかの切迫早産に!

1人目が1歳を過ぎた頃、2人目の妊娠が判明しました。

1人目のときは片道徒歩30分の通勤路を毎日のように往復で歩き、仕事でも立ち歩くことがほとんどで本当にたくさん動いていた記憶があります。それでも頸管長への影響はなし。39週2日で、本陣痛から6時間の安産でした。なので2人目もどんなに動いても大丈夫だろうと思っていたんです。


1人目の出産を機に仕事を退職し、専業主婦になりました。日中は家事をしつつ長男と近くの公園へ遊びに行ったり、主人の休みの日は家族で車で2、3時間かけて海釣りに行ったり、2人目を妊娠しても特に気を付けることもなく普段通りに生活していました。

ところが28週の検診での頸管長の測定で3.4cmになっていることが発覚!これからは家事は休み休みで座って出来る作業は座ってする、長い散歩は禁止などの軽い安静指示と、スピロペントという少し弱めの張り止め薬を1日3回飲むことで様子を見ましょうということになりました。

その時の私は恥ずかしながらそこまで危機感を感じておらず、医師の指示は守っていたものの積極的に横になったりはしていませんでした。そしてそれが災いしたのか32週のある夜、1時間間隔の痛みを伴う規則的なお腹の張りに襲われ救急外来へ。その時点で頸管長は2.7cm、入院の話もされましたが上の子のことなどもありウテメリンという強い張り止め薬を1日8回の極量で処方され様子見になりました。

次の日、張り止めを飲み朝から夜までトイレ以外何もせずに(食事も買ってきた物)布団で寝たきりだったのにも関わらず、やはり1時間間隔の張りはおさまらずその日の夜、主人との話し合いの末に結局入院することになりました。

上の子は幸いにも主人の母に預かってもらえることになり、私は24時間の点滴とベッドの上での安静生活を余儀なくされました。シャワーは2日に1回、トイレ以外は立ち歩き禁止です。主人も、主人の母も毎日子供を連れてお見舞いに来てくれましたが、私は家族と過ごせない寂しさとお腹の子が生まれてしまうのではないかという不安、そして何もすることのないベッドの上だけの生活に毎日が憂鬱でした。

34週の検診では子宮口がすでに2?開いてしまっていてさらに不安が募りましたが、なんとか持ち堪えて退院したのは36週と数日。正産期までの数日は赤ちゃんは推定体重2500gを越えていましたが安全第一ということで張り止め薬を飲み続け、子宮口の開き具合もあり早く生まれるかと思いきや、結局は39週1日で生まれてきました(笑)

それでも夜中陣痛に気付いて飛び起きてから出産までトータル2時間でしたから、経産婦とはいえ切迫早産も少し関係しているのかな、と思います。

ちなみに私の母は子宮頸管無力症でした。私自身は無力症の診断はされず頸管の炎症も起きていない、無条件の切迫早産だったのですが遺伝もあるのかもしれないと感じています。

そして現在3人目を妊娠中(29週)、26週から頸管長が3cm前後を行ったり来たりでまたまたヒヤヒヤです(泣)

後輩ママへのアドバイス

もし切迫早産や頸管長が短いという診断をされた方は、症状を軽く考えずにお腹の張りを常に気遣い、休めるときはしっかり休み(座るのではなく、なるべく横になることが大切です)、家のことはご主人にお任せしてのんびり過ごして下さい。のんびりすることは罪悪感たっぷりなのですが、それが今お母さんが赤ちゃんへ出来るなによりのことです!

これから妊娠を考えている方は、切迫早産の知識を頭の片隅に入れておき、いざ妊娠したときには目いっぱいマタニティライフを楽しんで下さい。そして妊娠する前に医療保険に入っておくことをオススメします。入院費のカバーがききますよ(笑)

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